本コラムでは、戦略人事の意義と現状を解説しています。学術研究や最新のデータ(人事白書2024)から、戦略人事の重要性や取り組み状況を明らかにしています。
筆者は、1990年後半から、人事制度を戦略の実現手段として構築できないかという打診や依頼に応え、以来30年近く、「戦略人事」に関わってきました。古くは、日本発の「方針管理」を目標管理に結合するという戦略的方針管理という手法、次に、当時所属していたヘイグループ、現コーンフェリーが提携した会社が推進しているバランスドスコアカード(BSC)という手法を含め、様々な取り組みを実施してきました。現在は、運用負担が大きくなりがちなBSCではなく、顧客企業の事業特性や組織の状況に合わせた方法にて戦略人事の構築を様々な形で支援しています。
戦略人事とは、「経営戦略に沿った人事戦略※及びその他の人事施策」を意味します。
※ 人事戦略とは通常、人事全般にわたる業務を改革し、組織の生産性を高める方策をいいます。
下記の5つの要素を含みます。
ここで、戦略人事と人事戦略の違いは、経営戦略や競合優位性の構築にコミットしているか否かということです。
多くの日本企業における戦略人事の実践的な意味合いは、企業の置かれた状況に応じて下記のように大別できます。
企業の状況 | 戦略人事の実践的な意味合い |
業績が市況よりも良い企業 | 将来の経営目標・経営モデルを達成するために求められる人事制度・施策の企画立案 |
業績が市況よりも悪い企業 | 人事諸施策の策定・整備に焦点を当てた対応 |
具体例には下記のようなことを戦略人事に求めています。
企業の状況 | 戦略人事で実現したいこと |
業績が市況よりも良い企業 | 「経営戦略を実現するため、人的資源を最大限に活用すること」「5年後10年後の事業継続および成長のための人材配置と育成」「インクルーシブリーダーシップモデル※を活用した人材配置・組織運営」 |
業績が市況よりも悪い企業 | 「計画採用、社員の段階的教育体制」「技術継承のための定期採用」「管理者の育成」 |
このことから、業績が良い企業は、戦略人事によって既存の強みをさらに強化し、長期的な視点での人材育成や組織の最適化を実現させたい一方、業績が悪い企業は、まずは組織運営を安定させることを戦略人事に求めていることが見て取れます。
※ インクルーシブ・リーダーシップとは、一人が率いる旧来型リーダーシップとは異なり、組織のメンバーひとり一人のなかにあるリーダーとしての資質を引き出しながら、全員で組織を引っ張っていくという「個の尊重」と「組織内の関係性」に注目したリーダーシップ概念です。
ー日本の人事部, 2021,「VUCA時代に求められるインクルーシブ・リーダーシップとは」
戦略人事は、通常のオペレーション人事※とは3つの点で大きく異なると考えられます。
※ オペレーション人事とは、人事システムの運用、労務管理、トラブル対応など日常の人事業務の遂行のことを言います。
オペレーション人事では、往々にして経験や勘で組織づくりを行います。しかし、新しいことをやるにあたってはこれまでの経験が障害になってしまうこともあります。経験や勘での組織づくりから脱却するために必要なものは「数量化」です。組織づくりにおける「数量化」として近年注目されているのが「ワーク・エンゲージメント」です。
ワーク・エンゲージメントは、仕事への情熱の度合いであり、エンゲージメントが高いことで、生産性の向上、退職率の抑制、戦略実行度の向上、顧客満足度の向上が見込まれることが判明しています。
コーンフェリーの調査によれば、ワーク・エンゲージメントと相関が高いドライバー(上位5つ)は、
となっています。
戦略人事においては、上記5つがワーク・エンゲージメントに大きな影響を及ぼすことを理解した上で、投下可能なコストを鑑みながら、どこに注力するのかを組織戦略として考えます。
戦略人事の研究がどのような観点から展開され、そして、どのような課題を抱えているかを紹介します。
戦略人事の実践者となる企業がどのような姿勢で戦略人事に取り組むべきか、その端緒となれば幸いです。
戦略人事の研究は下記の2つの観点から展開されてきました。
戦略的人的資源管理論の意味合いが「戦略との連動」をより強く意識した定義に代わっています。これは、人事施策を戦略と連動させることで、企業のパフォーマンス向上への貢献度を高める意図を含みます。
企業においても、21世紀以降のグローバル化や技術革新による急速な経営環境の変化に対処するため、人事に求める役割を「人材の管理部門」から「戦略的パートナー」へと変遷させる大きな流れがあり、上述の定義変更はこの流れに呼応した形にもなっています。
戦略人事研究における諸課題と、そこから見えてくる、戦略人事の実践者である企業が取るべき姿勢を解説します。
戦略的人的資源管理論における多くの実証研究の蓄積にもかかわらず、「人事管理制度」と「企業業績」との関係性や、それを説明するメカニズムは明らかとはなっていません。指摘されている要因の一つは、人事施策と企業業績の間に位置する変数が多岐に渡るため実証研究がとても複雑であることです。
<企業が取るべき姿勢>
これは、人事施策の効果は一概に保証されないことを示しており、よって、世の中で推奨されている人事施策の効果を鵜呑みにせず、まずは自社で検証する必要があると言えるでしょう。特に環境変数が頻繁に変動する今の時代においては、自社がやろうとしていることを正しく理解し、環境変化に応じて、施策を適切に調整し続ける姿勢が求められます。
人事管理の方法論は戦略類型ごとに存在し、その組み合わせの「適合性」は頻繁に議論されてきました。一方で、意思や感情を持った人びとが相互作用する職場のなかで「どのように」その組み合わせを適合させるのかという実践的営みにはほとんど議論が及んでいなかったです。
<企業が取るべき姿勢>
これは、ある企業の戦略に適合するとみなされている人事管理手法が、その企業の組織文化や職場環境の中で実際に機能するかどうかはわからないことを示唆しています。したがって、その手法を導入する際には、実践方法および導入後のシナリオを仮説として立て、柔軟に対応できる体制を整えること、加えて、現場からのフィードバックを基に継続的に調整し、実際の効果を検証しながら運用することが重要です。
これまで論じられてきた戦略人事の枠組みやその実践が、実のところ「戦略的」ではなかったのではないかということです。Boudreau and Ramstad(2007)は、人事管理に関する意思決定がしばしば合理的なロジックを欠いて行われていることを、GE社の好業績の遠因として注目を集めた「20ー70ー10システム」の事例を挙げて指摘しています。このシステムは当時、多くの企業に模倣されましたが、自社との適合性を十分に検討することなく、戦略的な実践とはまるで言えないような表層的な模倣に留まっていた企業も少なくなかったといいます。
<企業が取るべき姿勢>
これは、世の中で成功している制度を表面的に模倣することは、その制度が持つ戦略的なポテンシャルを発揮できず、制度導入の本来の目的を達成できない可能性があることを示唆しています。よって、評判のよい制度を盲目的に採用するのではなく、まずは自社の戦略との連動性を十分に検証する必要があります。特に、前例の踏襲が正解とは言えない今の時代、この姿勢はとても大切です。
学術研究においては、このような課題の解決に向けて一定の成果を得るためには、戦略人事を展開する企業を対象とした事例研究を丹念に積み重ねることが必要不可欠であるとされています。
だとすれば、戦略人事の遂行者である人事責任者も、目の前で起こりえる問題に対して明確な解決策を提示できるよう、定期的に事例研究を重ね、戦略人事の理解を広げ深めておくことが望ましいといえるでしょう。
そして、全ての課題へのアプローチのベースとなる、何よりも大切なことは、「戦略人事の本質を理解する」ということです。
本質を理解することで初めて、戦略との適合性のみならず、自社の組織文化や置かれている環境をも考慮した「自社との適合性」を検証できるのです。
人事白書2024が集計した日本企業の戦略人事の取り組み状況です。
多くの企業は「戦略人事の重要性を認識しているけれど、取り組めていない」という状況が、以下のデータから見て取れます。
人事白書2024によれば、9割近くの企業が戦略人事の重要性を認識しており、それは企業の業績の良しあしに関係ないことが判明しています。重要性の認識が企業の実情にどれだけ表れているかという観点から、以下の7つの点が調査されています。
「取り組みたいができていない」、あるいは「取り組んでいない」企業は6割に上ります。
最も多かったのは「何をすればいいのかわからない」(33.9%)で、次が「経営が戦略人事を求めていない」(32.3%)となっています。
6割以上の企業が戦略人事に取り組めていない主な理由として、人事白書2024は「戦略人事を実践するための知識や経験が不足している」、あるいは「何をすればいいのかわからない」を挙げていますが、筆者の経験からは、以下の3つに分けられます。
戦略人事とは、「経営戦略に沿った人事戦略及びその他の人事施策」を意味します。
2024年現在、業績が良い企業は、戦略人事に「既存の強みの強化、長期的な視点での人材育成や組織の最適化」を求める一方、業績が悪い企業は、「組織運営の安定化」を戦略人事に求めています。
経験や勘による組織づくりから脱却するためには「数量化」が必要であり、「ワークエンゲージメント指数」は組織づくりにおいて近年注目を浴びている指数です。
戦略人事においては、ワークエンゲージメントと相関の強いドライバーのうち、投下可能なコストを鑑みながら、どこに注力するのかを組織戦略として考えます。
戦略人事の研究は「戦略的人的資源管理論」と「人事部門の役割改革論」の2つの観点から展開されてきました。
21世紀以降のグローバル化などによる経営環境の急速な変化に呼応して、戦略人事の定義は「戦略との連動」をより強く意識したものになっています。
世の中で提唱されている戦略人事の方法論を鵜呑みにせず、まずは「自社との適合性」を検証する必要があります。
そのためには、「戦略人事の本質」を理解することが重要です。
2024年現在、戦略人事の重要性を認識している企業は9割に至りますが、6割の企業は戦略人事に取り組めていない状態です。
この原因の一つは、戦略人事を実践するための知識や経験が不足していることです。
参考文献:
日本の人事部, 2024,『人事白書2024』
日本の人事部, 2021,「VUCA時代に求められるインクルーシブ・リーダーシップとは」
柿沼英樹, 2018,「戦略人事をめぐるリサーチ・アジェンダ」『環太平洋大学研究紀要』
松山一紀, 2015,『戦略的人的資源管理論:人事施策評価へのアプローチ』, 白桃書房
J. W. Boudreau and P. M. Ramstad., 2007, Beyond HR: The New Science of Human Capital, Boston: Harvard Business School Press.
Ulrich, David O., 1997, Human Resource Champions: The Next Agenda for Adding Value and Delivering Results, Boston: Harvard Business School Press.