戦略人事を実行するためには、人事担当責任者と経営者は同じ言葉でコミュニケーションをとり、企業経営について共通認識を持つ必要があります。...
価値創造戦略
いま、多くの企業がビジネス環境の変化やグローバル競争の激化に直面しています。新規事業の創出から既存事業の変革、社員のモチベーション向上、人材の確保・育成など、組織にはさまざまな課題が山積みです。その根底にあるキーワードのひとつが「価値創造」です。いかに自社が継続的に価値を生み出し、企業価値を高めていくかが、今日の経営においては最重要テーマとなっています。
本記事では、企業経営者や人事担当責任者に向けて、「価値とは何か」という定義から、価値創造に必要な視点・行動、さらにその実践と評価のあり方までを俯瞰し、整理してご紹介します。この記事を通じて、自社の組織運営の在り方や人事の取組みを見直すきっかけにしていただければ幸いです。
筆者は、1990年後半から、人事制度を戦略の実現手段として構築できないかという打診や依頼に応え、以来30年近く、「戦略人事」に関わってきました。古くは、日本発の「方針管理」を目標管理に結合するという戦略的方針管理という手法、次に、当時所属していたヘイグループ、現コーンフェリーが提携した会社が推進しているバランスドスコアカード(BSC)という手法を含め、様々な取り組みを実施してきました。現在は、運用負担が大きくなりがちなBSCではなく、顧客企業の事業特性や組織の状況に合わせた方法にて戦略人事の構築を様々な形で支援しています。
1. そもそも価値とは
価値とは、製品・サービスがもたらす効用からそのために費やした費用を引いたものということができます。
つまり、次の式が成り立ちます。
価値 = 効用 ー 直接費用 ー 資源の機会費用※
※ ここで機会費用とは、いくつかの選択肢から一つを選ぶ時、選ばれなかった他の選択肢から得られたはずの満足や利益をコストとして捉える考え方を言います。
会社で働いている個人の場合は、
価値 = 個人が会社に提供する価値(貢献度)
ー 本人の給料・手当てなど
ー 本人に資源を提供することで発生する機会費用
となります。
企業における価値創造
会社自体が生み出す価値は、
価値 = 売上 一 直接費用 一 資本の機会費用
= 税引き後営業利益 十 減価償却費 一 投下資本 × 資本コスト
= EVA(Economic Value Added:経済的付加価値)
となります。
ただし、これは単年度の価値です。どんな企業でも、単年度だけではなく、継続的に利益を生み出さねばなりません。つまり、継続的な価値の創造が求められています。企業が生み出す継続的な価値を積算したものは企業価値と呼ばれ、企業価値から負債を差し引いたものは株主価値と呼ばれています。
2. 価値創造を阻む主な障害とそれを乗り越える方策
企業として継続的に価値を生み出すためには、「価値とは具体的に何か」「価値を創造するためにどのような活動を行うか」「それをどのように戦略につなげ、評価するか」といった点を明確にしなければなりません。しかし、現実には以下の四つの障害が立ちはだかります。
- 障害1:価値とそれを創造する活動の理解不足
- 企業全体として「価値とは何か」を定義しておらず、社員が行動基準を見失いがち。
売上成長率、営業利益率、顧客満足度、ROE、EVAなど、指標が乱立しているため、社員が混乱する。 - 障害2:社員の自己本位的な行動
- 「予算を使い切らないと翌年度予算が減らされる」など、各個人・部門の利害を優先するあまり、全社的な価値を損なうケースがある。
- 障害3:権力抗争
- 部下・予算・情報などを抱え込み、組織の価値よりも自分の権力を強めようとする行動が見られる。
- 障害4:部門間の対立
- 部門ごとに異なる目標・マインドセットを抱えていることで、全社的最適が損なわれやすい。
これらを克服するためには、「社員に価値を正しく理解してもらう」「社員が価値創造にコミットしたくなる仕組みを用意する」「権力抗争を減らす評価報酬制度を整える」「部門間の対立を緩和するような組織横断的仕組みを導入する」などが求められます。
3. 価値創造を実現するための戦略と評価
3-1. 戦略と価値創造の関係
価値を生み出すための活動は、企業の戦略と連動しなければなりません。企業価値を最大化するため、「何を強みに、どこで勝負するのか」という方向性が戦略であり、日々の意思決定はこの戦略とリンクして初めて意味を持ちます。
ところが、実際には管理職含め多くの社員が自社の戦略を理解していないケースも多く見られます。これは「目的地を示さずにタクシーを走らせるようなもの」だと言えるでしょう。
すなわち企業価値を継続的に高めるには、社員が戦略を理解し、戦略の実行にオ一ナーシップを持つことで、戦略と日々の意思決定とのギャップを埋める必要があるのです。
戦略理解度の診断
以下の問いに答えることで、あなたが関わっている事業の戦略をきちんと理解し、実行できているかを把握できます。
- 質問1:社員は戦略の要点を 1 分くらいで簡潔に説明できるか
- 短時間で要点をまとめられるということは、社員が戦略を十分理解している証拠です。
- 質問2:戦略が焦点を当てている最も重要な三つのバリュードライバーは何か
- 価値を創造する上で重要な要素を「バリュードライバー」と呼びます。製造工程であれば品質、コスト、サイクルタイム、営業活動であれば価格戦略や販売数量、顧客評価などが該当するでしょう。これを明確にできるかどうかで、戦略の具体性と優先順位の理解度を確認します。社員がどこに注力すべきかを正しく把握できている場合、この問いに迷いなく答えられるでしょう。
- 質問3:戦略の内容があらゆるレベルの社員に伝達されていて、社員全員がこの3つのバリュードライバーを思い出すことができるか
- 情報共有が徹底されているかどうかを確かめる問いです。戦略やバリュードライバーを全員が即答できる状態は、一貫した実行体制に不可欠です。
- 質問4:戦略が正しいもので、将来多大な価値を創造できるかどうかについて社内でコンセンサスが得られているか
- 組織内で共通の信念を持ち、同じ方向へ進む意識があるかを確かめる問いです。全員が納得できる戦略ほど実行力が高く、長期的な成果を生み出しやすいです。
- 質問5:自社(事業)の戦略は、競合他社と差別化されているか
- 戦略の独自性を確認し、競争優位の源泉が明確かどうかを測るための問いです。差別化が曖昧だと競合に埋没し、企業価値を高めることが難しくなります。
- 質問6:戦略と業績評価や報酬は効果的にリンクされているか
- 戦略の実行を促進するためには、社員の行動や成果に見合った報酬制度が必要です。リンクが弱いと、戦略よりも個人・部門の利害が優先されてしまいます。
- 質問7:戦略と業務プロセスや資源配分には一貫性があるか
- 行動や投資が戦略と矛盾しないかを確認する問いです。戦略の方向性と実務が一致していないと、組織全体がバラバラに動き、成果が得られないです。
- 質問8:あらゆるレベルにおいて、戦略を効果的に伝え、活動結果をフィードバックし、レビューするような仕組みがあるか
- PDCAサイクルを回し、必要に応じて戦略を修正・強化できる体制かどうか確認する問いです。全レベルでの振り返りと学習が、持続的な価値創造につながります。
価値創造と戦略(とその実行)を関連付けるプロセス
- まずは企業価値を左右するバリュードライバーを明確にし、
- そこを起点として管理職の参加のもと、事業戦略を立案し、
- 立案した戦略を幹部間で共有して評価し、
- 全社員に浸透させるプロセスを作ることが不可欠です。
3-3. 戦略人事と評価の要諦
最後に「評価」という視点から価値創造を考えると、組織としては以下の点が重要になります。
-
革新性を評価する
- 過去の延長線上ではなく、革新的なアイデアや取り組みに対しては高い報酬を用意し、失敗のリスクを恐れず挑戦できる土壌を整える。
-
チャレンジ精神を育む文化
- 上司に対しても「ノー」と言える、あるいは自由に意見を言える環境を作る。内向きではなく、外に目を向けた活動を促す。
-
信頼関係の構築
- 社員が心理的安全性を感じられるように、失敗したときでも必要以上に責めず、むしろ次につながる学びを重視する。
- 部下に意思決定や裁量権を与えることで、責任感やモチベーションを高める。
また、こうした風土改革や評価制度を支えるためには、経営陣が本気でコミットし、社員との対話を重ねていく必要があります。一朝一夕に完成するものではありませんが、明確な価値の定義と、それを社員全員で共有できる仕組みづくりが組織全体の価値創造を大きく前進させるでしょう。
まとめ
本記事では、企業が価値を継続的に創造するための大枠として、次のポイントを整理しました。
-
価値の定義を明確にする
- 企業としての価値は「株主価値や企業価値」であり、それをベースに社員全員が理解できる指標を採用する。
-
価値創造の障害を把握し、克服する仕組みを構築する
- 価値概念の不明確さ、部門間対立、自己本位的行動、権力闘争などを最小化するために、人事・評価・組織体制の見直しを図る。
-
戦略と価値創造活動をリンクさせる
- 戦略が全社員に浸透してこそ、日常業務が企業価値の向上と結びつく。バリュードライバーを特定し、戦略立案に反映するプロセスを整える。
-
評価と報酬を通じて社員のチャレンジを後押しする
- 革新的取り組みを重視し、失敗のリスクをとることを奨励し、成功すれば上限を設けず報いる文化を育む。
価値創造とは、単に新規事業を興すことや利益を追求するだけではありません。企業全体が「何を目指し、どう進むのか」という戦略と、その戦略を実行する社員一人ひとりの行動や挑戦が結びつくことで、初めて大きな効果を得られます。そのためにも、「企業価値の最大化」をゴールとして、部門や職種を超えた総合的な仕組みづくりと、組織文化の変革が欠かせません。
参考文献:
髙橋宏誠, 2010, 『企業価値を高める事業戦略がわかる 戦略経営バイブル』, PHP研究所