戦略人事を実行するためには、人事担当責任者と経営者は同じ言葉でコミュニケーションをとり、企業経営について共通認識を持つ必要があります。...
新たな成長機会をもたらす「隠れた資産」
戦略人事を実行するためには、人事担当責任者と経営者は同じ言葉でコミュニケーションをとり、企業経営について共通認識を持つ必要があります。
本コラムでは、次の2つの重要なキーワードを用いて、企業に新たな成長機会をもたらす「隠れた資産」を説明します。
- デマンド・イノベーション(顧客の内なる需要に応えることで作り出す企業成長)
- 顧客関係資産(顧客との深い関係性から生まれる競争優位性をもたらす資産)
筆者は、1990年後半から、人事制度を戦略の実現手段として構築できないかという打診や依頼に応え、以来30年近く、「戦略人事」に関わってきました。古くは、日本発の「方針管理」を目標管理に結合するという戦略的方針管理という手法、次に、当時所属していたヘイグループ、現コーンフェリーが提携した会社が推進しているバランスドスコアカード(BSC)という手法を含め、様々な取り組みを実施してきました。現在は、運用負担が大きくなりがちなBSCではなく、顧客企業の事業特性や組織の状況に合わせた方法にて戦略人事の構築を様々な形で支援しています。
1. 隠れた資産とは
「隠れた資産」とは、マーサー・マネジメント・コンサルティングのエイドリアン・J・スライウォツキー氏によって提唱されたコンセプトで、企業が商品・サービスを提供する過程で生まれる無形の資産のことを言います。これらは顧客のニーズに密接に関連し、企業が提供する価値を深めるだけでなく、新たな成長機会をもたらすため、長期的な競争優位を構築するための重要な鍵とされています。
本コラムでは、この「隠れた資産」の重要性、種類、活用方法について掘り下げて解説します。
隠れた資産の重要性
長い目で業績を伸ばすには、コアビジネスから派生した自社独自の無形資産を有効に生かして顧客のプライオリティの高いニーズを満たすことが必要です。
顧客のニーズは製品の機能を高めたからといって完全に満たされるわけではなく、顧客は製品・サービスの購入や利用を容易にしたい、つまり、時間と手間という経済性を高めたいと望んでいます。具体的には、時間や労力をかけずに製品・サービスの利用方法を覚えたい、他の製品と組み合わせるなどしてより便利に使いたい、製品の収納など保管方法に頭を悩ませたくないというような顧客サイドの隠れたニーズのことです。
このように、製品・サービスに関する顧客の「内なる需要」に応えることで現在のコアビジネスの境界線を広げ、新たな成長を作り出すことを、スライウォツキー氏は「デマンド・イノベーション」と呼んでいます。要するに、隠れた資産とは、「デマンド・イノベーションを生み出す宝箱のような無形資産」と言っていいでしょう。
2. 隠れた資産の4分類とその評価方法
スライウォツキー氏は「隠れた資産」を以下の4つのカテゴリに分類しています。
1. 顧客関係資産
顧客関係資産が多くあることで、顧客獲得に要する時間と費用が新規参入者に比べて少なくなり、上質な製品・サービスを低いコストでより確実に顧客へ提供でき、プレミア価格の設定が可能です。顧客体験価値(CX)の向上にも不可欠な資産です。
具体例:
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顧客へのリーチ:多数の顧客に到達する力
例:マクドナルドは毎日4800万人にファーストフードを提供している
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顧客とのインタラクション:顧客との頻繁かつ深い関り
例:ウォルマートの顧客は業界平均2倍の頻度で来店している
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顧客へのインサイト:顧客や顧客の事業の課題についての深い知識や理解
例:GEプラスティックは自動車部品の設計(=顧客の事業)に関する専門的な能力を備えている
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権威:高い専門性を有する企業であるという評判
例:アクセンチュアはITソリューション専門企業として評価されている
AIの普及により、顧客行動データの収集の重要度が増している現在、「顧客とのインタラクション」は特に重要な資産となっています。こうして得られたデータを分析することで、「(より深い)顧客へのインサイト」が得られ、顧客体験価値の向上を実現できます。
戦略的資産
戦略的資産は、業界内における有利な地位を意味し、周辺市場に参入する際、新興企業や競合他社に比べて、スピードやコストの両面で有利に働きます。
具体例:
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バリューチェーン上の地位:サプライヤー、メーカー、消費者などとの結びつきの中で中心的な存在であること
例:デル・コンピュータは、部品メーカーとエンドユーザーをつなぐ貴重な立場にいる
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市場地位:競合と比べて強い立場にあること
例:ジョンソン・コントロールは自動車メーカーの内装の供給者としてシェアトップ
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ポータル:情報、製品、サービスなどへの入り口(ゲートウェイ)をコントロールする力を有すること
例:(2009年時点)ヤフージャパンは1日平均19億のアクセス数を誇り、日本に於けるポータルサイトでは業界1位
ネットワーク資産
ネットワーク資産とは、他社との幅広く緊密な関係のことです。
具体例:
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事業パートナーとの関係:サプライヤー、コンテンツ・プロバイダーなど主要なパートナーとの強い絆
例:オラクルは垂直方向で多数のアプリケーション開発パートナーを有している
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製品普及数:新しい製品やサービスを提供するための顧客基盤
例:ボーイング製の民間航空機は、1万3000機以上が運航している(約75%のシェア)
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ユーザー・コミュニティ:ユーザー・コミュニティの一員であるという意識を持った人々の集合体
例:ハーレー・ダビットソンには65万人もの熱心な支持者がいる
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取引機会:関連業界で取引のチャンスが優先的に巡ってくること
例:シスコシステムズは、ネットワーク業界でM&A案件を事実上すべて早い段階で把握できる
情報資産
情報資産とは、独自のノウハウや内製システムが挙げられます。
具体例:
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技術的なノウハウ:顧客にとって重要な分野で深い知識を有すること
例:IBMは、SAP製ソフトウェア導入のエキスパートである。
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内製システム:内製のITシステム
例:アメリカン航空が構築した予約管理システムは、SABREというシステムとして航空業界で広く利用されている
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派生情報:事業を通じて収集した情報で、他の事業に生かせるもの
例:クインタイルズ・トランスナショナルは治験業務を通じて薬品の使用に関する貴重な情報を収集し、製薬会社のマーケティング部門に提供している
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検索情報:検索という個人行動を通じて事業に生かす
例:グーグルは検索する言葉を情報に変換し、検索者に適した広告を提示している
2024年現在は上記に加えて、多様なデータ(例えば顧客行動データ、サプライチェーンデータ、そして従業員のパフォーマンスデータ)が情報資産となります。
これらのデータを統合的に活用し、AIによる高度な分析を行うことで、より精緻な戦略策定やオペレーションの最適化が可能となり、持続的な競争優位性の構築に寄与します。
隠れた資産の評価方法
隠れた資産が持つ戦略的価値を評価するためには、VRIOフレームワークが有効です。
- 価値(Value):その資産が市場での競争力を高めるか。
- 希少性(Rarity):競合他社が同様の資産を持っていないか。
- 模倣困難性(Imitability):競合他社が模倣するのにコストや時間がかかるか。
- 組織化(Organization):その資産を活用できる体制が整っているか。
例えば、デルの製品組み立て活動は、価値・希少性・模倣困難性の全てを備えた隠れた資産であり、持続的な競争優位をもたらしています。
3. 隠れた資産を活用した競争優位の構築
顧客の内なる需要を満たし、デマンド・イノベーションを生み出す「隠れた資産」は、企業の長期的な価値創造を支える基盤として活用できます。
具体的には、以下のような取り組みが挙げられます。
- 製品に関するメンテナンス、融資、トレーニングや運用を受託することで顧客企業の業務効率アップに貢献
- GEは、タービン、ジェットエンジンなどの製品に加えて収益性の高い川下サービスを提供しており、それは総収益の6割にものぼるとされています。
- 顧客の事業における複雑さを取り除き、製品・サービスの開発リードタイムの短縮に貢献
- 自動車部品メーカーのジョンソン・コントロールは、自動車メーカーが行っていた内装全体をモジュール化して引き受けることにより、設計の複雑性を減らし、組み立て効率を高めるのみならず、優れたインテリアの提供と原価の低減に貢献したのです。これによってジョンソン・コントロールは70億ドルのシート組み立て市場から850億ドルの自動車インテリア市場全体に参入し、売上高、営業利益、株主価値の二桁増に成功しました。
- 顧客のビジネスにおけるリスクや不安定さを軽減
- 産業ガスを製造するエア・リキードは、冷凍食品メーカーの品質管理、納期管理までも引き受け、冷凍オムレツの製造ラインの操業を行っています。
まとめ
「隠れた資産」とは、コアビジネスから派生する無形の資産であり、競争優位性の源泉となります。
主に以下の4つに分類されます。
- 顧客関係資産:顧客との信頼関係や深い理解から生まれる資産。
- 戦略的資産:市場での地位やバリューチェーン内での重要なポジション。
- ネットワーク資産:事業パートナーとの関係性やユーザーコミュニティ。
- 情報資産:技術的なノウハウや独自の情報システム。
これらの資産を効果的に活用することで、企業は持続的な競争優位性を築くことができます。特に、顧客の潜在的なニーズを満たす「デマンド・イノベーション」は、隠れた資産を活用した成長戦略として重要です。企業は自社の隠れた資産を特定し、戦略的に活用することで、新たな価値創造と市場での優位性を確立できます。
参考文献:
エイドリアン J.スライウォツキー他, 1999, 『プロフィット・ゾーン経営戦略: 真の利益中心型ビジネスへの革新』, ダイヤモンド社
髙橋宏誠, 2010, 『企業価値を高める事業戦略がわかる 戦略経営バイブル』, PHP研究所